VRChatに魂の綱を引っ張られている

VRChatが楽しすぎる。

毎日狂ったようにログインを繰り返してVRの世界に身を沈める日々を繰り返している。

 さて、前回の記事ではVRChatを始めて間もなく誰しもに訪れる幸福について書いたが、今回は自分の話を書こう。

VRChatには美少女になって頭をナデナデされるという喜びがあった。それは全人類共通の根源的な承認欲求が満たされる喜びであり、誰しもが抱くことのできるであろう最初の感動だ。それとは別に承認する悦びがある。美少女の頭をナデナデする喜びがある。これは単純に自分の性癖の話なのだが、強い承認欲求を持った相手に対面すると、その欲求が強ければ強いほど、歪んでれば歪んでいるほど、その強烈な承認してほしいというオーラにクラクラしてたまらなくなってしまうのだ。オートガイネフィリアとかオーダゴニストフィリアとかそういう存在に強い人間性を感じるのだ。他人を承認するのが好き。相手を認めてあげるのが好き。相手を承認することによって始めて自己の承認が得られる。

VRChatは様々なユーザーがいるが、深みにハマったヘビーユーザーは大体承認欲求が強い。自己を承認してほしいという欲求を隠そうともせずぶちまけてくる。天国かよ。他人の承認欲求を肌で感じられる。人によっては不快かも知れない。だけどそれがいい。ナデナデしたい。かわいがりたい。認めてあげたい。尊い。甘い。奔流する感情がたった2文字のシンプルな言葉でアウトプットされる。好き。好き。好き。

単純に面白いフィクションのキャラクターを知ったときに感じられるような喜びが毎日たくさん感じられる。そういう場所だ。だから毎日楽しくてたまらない。最高。そりゃ一日10時間遊んでも飽きないわけだ。

ただそうしているうちに少しづつVRに魂の綱を引っ張られているのを感じる。例えばフィクションのキャラに感じる好きは現実の好きではない。VR上の好きだってそれと同じはずだ。リアルのフィクションは違う、リアルとバーチャルは違う。リアルはリアル、フィクションはフィクション、バーチャルはバーチャルである。バーチャルの好きはリアルの好きじゃない、そういう好きではないと思う。しかし、VRで人のことを好きになると、どこで好きになっているのかわからなくさせられる。魂の境界がぼやけて、ただ好きという気持ちに耽溺して、何もわからなくなる。

つまりどういうことか。自分はVRChatで他人に優しくして、ナデナデしてメス堕ちさせて一方的に楽しんで、相手をキャラクターとして消費していたはずが、いつのまにかこっちがメスに堕とされていたのかもしれない。そうだ、好きな相手のことを考えるてる時、脳内回路がおかしくなっている、存在しないはずの乙女回路が動作しているのだ。好きで好きで好きすぎて頭がバグってる。バグだよ。おかしいよ。こんなはずじゃないんだよ。こういう性的嗜好じゃなくて、こっちからイジったりかわいがったりするのが楽しいだけなはずなんだよ。もう意味わからない。好き。好き。最近ずっと一緒にいる人がいて、一緒にいるたび楽しくて、好きが止まらない。

VRChatはすごく楽しいけど自己の境界が曖昧な人には危険なツールかもしれない。でも楽しい。好き。